Panasonic Scholarship Alumni  パナソニックスカラシップ体験者が語る未来へのメッセージ

「認知症を治せる病気に」。
最大の転機となり、研究の礎を築いた日本での経験。

○ノラリン・バスコ・マニュカットさん
国籍:フィリピン
現在の居住国と職種:オーストラリア 大学
2010年認定→京都大学大学院入学(農学研究科 応用生命科学専攻)→修士課程修了後、南オーストラリア大学で医学博士号を取得→2018年より豪フリンダース大学の医学・公衆衛生学部にて博士研究員として勤務

フィリピン出身のノラリン・バスコ・マニュカットさんは、認知症やアルツハイマー病に関わる研究を続ける才媛です。専門性の高い分野の研究を行っている彼女ですが、祖国フィリピンで取得した学士号での専攻は、現在の研究テーマとはずいぶん離れていたのだとか。彼女が今、人生をかけて取り組んでいるテーマを支えるスキルを教えてくれたという京都大学大学院修士課程での学びと、それを支えたパナソニック スカラシップとの意外な出合いについて詳しくお聞きしました。

人生を変えた奨学金との、運命的な出合い

フィリピン大学ディリマン校を卒業したのち、オンラインでの語学学習サービスを提供する日系企業で講師として働いていたノラリンさん。ですが将来について深く考えた結果、科学的な分野での研究職を志すようになりました。彼女が今オーストラリアの大学で取り組んでいるのは、アルツハイマー病の原因に関係するたんぱく質のメカニズムの解明なのだそう。

「私が今、主に研究しているのは、ヒトの体内で生成される次亜塩素酸や、アミロイドβというたんぱく質のメカニズムについてです。これらの仕組みを理解することはアルツハイマー病の新たな治療法を生み出すために非常に重要といわれており、このトピックに焦点を当てて日々考察を重ねています。私の学士号はフードテクノロジーに関連するものでしたが、日本で取得した修士号では、ヒトの健康維持のために重要な働きをするABC輸送体というたんぱく質を扱いました。そして博士号で、アルツハイマー病と深く関わるアミロイドβやタウたんぱく質といったたんぱく質の研究を行うように。研究員としての今の仕事では、アミロイドβの凝集が神経毒になるメカニズムを研究しています。そのためのたんぱく質の検出法や薬物反応の予測方法、専門的な実験方法など、研究に必要なスキルに関しては日本の京都大学で多くのことを教えていただきました」

当初はフィリピンで修士課程に進むことを考えていたものの、結果的には日本への留学を果たすことに。そのきっかけは本当に偶然で、運命的なものだったといいます。

「私が日本への留学を決めた理由は、ちょっとした笑い話のようなのですけど……。実はまったくの偶然だったんです。科学に関連する職を探していた私はある日、フィリピンの科学技術省傘下の機関での面接を予定していました。ですが道に迷ってしまい、オフィスが見つけられなくて……。そのときです。ふと通りかかった掲示板に、パナソニック スカラシップのポスターが貼ってあったのです。そこには、パナソニックが日本での修士課程での学習を2年間奨学金つきで支援し、さらに1年間日本語の学習のための経済的支援を行ってくれることなどが書かれていました。『すごい、こんな奨学金があるんだ』ととても驚いて、すぐさま資料提出の締切や何を用意すべきかといった情報をメモしました。その後、探していた建物に無事たどり着き、なんとか面接は受けられたのですが、すでに私の頭の中は日本への留学のことでいっぱいでした」

幼少期には地元で放映されていた日本のアニメやヒーロー映画を見て育ち、日系企業で働く中でさまざまな日本人と触れ合うことで「日本がいかに美しい国であるかに魅了され、その文化についてもっと知ることにとても興味があった」と語るノラリンさん。しかしスカラシップへの応募については、あえて友人にも家族にも隠していたとか。

「パナソニック スカラシップに申し込むことは、誰にも言わないようにしました。海外に行ける奨学金に応募するのなんて初めてだったから、運試しのようなものだと考えて、できる限り内緒にしていたかったのです。周囲から『結果はどうだったの?』と聞かれて気が散るのが嫌でしたし、審査に通らなくて恥ずかしい思いをするかもしれないと考えていました。しかし、私は運よく奨学金を頂けることになり、晴れて日本へ留学できることに。そこからはあらゆる人にそのことを知らせました!」

美しい日本の文化や人々の温かさに触れた留学生活

スカラシップが支援するのは、留学準備期間を含め3年間。留学先の大学に指定はないため、ノラリンさんは自身が関心を持っていた学習分野や、滞在先の都市としての興味から、京都大学を選びました。ですが大学への出願は、もちろん自力で行わなくてはなりません。また留学の条件として、日本語能力試験の3級に合格しなければならないというルールがあり、必死で勉強に励んだそうです。

「日本語能力試験に合格して日本留学が確実になったときは、私の人生の中で最高の瞬間。そこからは何もかもが順調でした。私の場合、留学先である日本のパナソニックのスタッフに加え、パナソニック フィリピンの職員もこまめに連絡をくれ、彼らが留学のための飛行機代まで負担してくれました。京都大学での学びはとても有意義で楽しく、これ以上ないくらいに充実していましたね。私が在籍した農学研究所では留学生へのサポートが充実していて助かりましたし、研究室の日本人メンバーも、意欲的に私と英語でコミュニケーションしてくれました。お返しに今度は彼らが私に日本語を教えてくれることもあったんですよ。毎年夏にはゼミ合宿があり、みんなでテニスをしたり一緒に楽しく過ごしたりしました。大学の学生食堂も印象深いです。お箸をうまく使えないことを除けば、自分も日本人の学生になったかのような気持ちになってうれしかった。夏は祇園祭を見物に行き、秋には嵐山へ。桜のシーズンには鴨川のほとりで食事をするのが何より楽しみでしたね。京都での日々は、本当に幸せなものでした」

留学中、京都の文化に触れることが楽しみだったという。写真は清水寺。

スキー場にて(写真左)。富士登山など、日本では非常に多くのことを体験しました。

さらに留学中は、毎年パナソニックが開催する留学生のためのイベントや学会で、東京をはじめ日本のさまざまな都市を訪れたそう。「異国でも孤独を感じないよう、パナソニックがとても手厚くサポートしてくれているのを感じました」と話してくれました。

進路を決めたのは、留学で得た友人の貴重なアドバイス

日本での生活を非常に気に入っていたノラリンさんですが、京都大学の修士課程を修了後、博士課程進学のため一路オーストラリアへ。現在も在住しています。

「実は、日本で博士号を取得したいと考えてはいたんです。でも、いくつか応募した奨学金が運悪くひとつも得られなくて。そこで南オーストラリア大学の奨学金に応募したら、すんなり成功しました。これは私が京都大学の学生だったことが大きな要因ではないかと思います。だからその点でも、パナソニックが私にくれた学びの機会にはとても感謝しているんですよ。とにかくそれで、そろそろ日本を出るタイミングなのだと決意を固めました。私はいつも聖書の一節である『叩けよ、さらば開かれん』という言葉に従うようにしています。そして、叩いて開くドアがあるのならば、そちらを選んでみようと思ったんですね。日本へ来たのも運命の巡り合わせだったし、今回もこのチャンスをつかんでみようと。オーストラリアを選んだ理由は、留学を通して日本で知り合った友人からのアドバイスでした。同じくパナソニック スカラシップの支援を受けて京都大学で学んでいた、インド出身のアイヤル・クリティカさん。彼女とは寮も同じで、留学中のいちばんの友人でした。日本の奨学金が見つからないという話をしたら、オーストラリアがいいかもよと教えてくれて。オーストラリアでは学生ビザを取得すると、配偶者も働けるようになるんですよ。アメリカではそれが難しいので、次の滞在先としてオーストラリアを選びました」

人生の次のフェーズで移り住んだオーストラリアで、無事に博士課程を修了。現在は大学の研究員としてキャリアを積んでいるノラリンさんは、今ではオーストラリアの市民権を獲得し、生涯オーストラリアで研究を続けられるようになりました。

オーストラリアでたんぱく質の研究を続けるノラリンさん。

「もちろん日本は大好きな国なので、今後も機会があれば関わり続けたいと強く願っています。近い将来、同じ分野に取り組んでいる日本の研究室と共同研究ができたらと考えていますし、あるいは、私が日本学術振興会の特別研究員に応募してもよいでしょう。いつかは自分の研究チームを率いて、アルツハイマー病や脳腫瘍といった脳の病気の治療法を見つけることが人生の大きな目標のひとつ。日本は、オーストラリアや欧米諸国に比べて認知症の罹患率が低く、私の研究分野では特にライフスタイルや文化的特徴が注目されている国でもあります。もう一度、次は家族と一緒に日本を訪れて、いろいろな場所を見て回りたいですね」