Panasonic Scholarship Alumni  パナソニックスカラシップ体験者が語る未来へのメッセージ

多くの人を笑顔にするものを生み出す。
日本で学び、成長した自分が母国のためにできること。

○カバリン・ワンツィリパ・イサーンさん
国籍:タイ
現在の居住国と職種:タイ 運輸省
2005年認定→東京大学大学院(工学系研究科 社会基盤学専攻)→2007年、修了後、タイに帰国し日系企業に就職、不動産販売に従事。→2009年以降、タイ運輸省に勤務。高速道路局に配属

今回、ご登場いただくカバリン・ワンツィリパ・イサーンさんは、タイ政府の運輸省高速道路局に勤め、国内高速道路網の整備を担当しています。小さな頃からの「何かを生み出し、他の人の役に立ちたい」という願いは、やがて国の発展に寄与できる人材になりたいという強い思いへ変わりました。その転換点となったのが、日本でのインターンの経験、そしてパナソニック スカラシップによる日本留学での学びでした。今、公務員の仕事に責任とやりがいを感じていると言うカリバンさんは、若者たちに海外留学を勧めます。海外での視野の広がり、そして世界で活躍する留学生仲間の存在が、自分を成長させ、財産となっていると言います。

人の役に立ちたい。その夢に向けて進む

カバリンさんが、日本を意識したのはまだ5歳の頃。大好きな『ドラえもん』の漫画を何度も読んで将来の夢をふくらませていたそうです。

「ドラえもんのポケットから出てくるいろいろな道具は、便利なだけでなく、人を楽しませたり、笑顔にしたり、豊かな未来を感じさせてくれました。私は、自分も人の役に立つものを作りたいなと思いました。母と出かけた際に、銀行のATMからお金が出てきたのを見た私は、家に帰ると段ボールでオモチャのATMを自作。ものづくりが私の将来の夢となりました。成長し、漫画は現実ではないと知りましたが、ずっとものづくりへの情熱を持ち続けられたのは、ドラえもんがいる日本への憧れでした」

カバリンさんは、タイ国立のタマサート大学の独立高等教育機関であるシリントーン国際工学部(SIIT)で学び、社会基盤工学(土木工学)で優秀な成績を収めます。大学3年生のときには、日本の一般社団法人 日本経済団体連合会が主催するインターンシップに参加。SIITの各分野上位5名が選出され、日本の企業で3週間の学ぶというものです。カバリンさんは、大手建築コンサルタントの企業へ。日本で最初に感じた驚きは、今でも強く覚えていると言います。

「私は『日本にはドラえもんがいた!』と実感しました。新幹線に乗れば、東京から京都でも、青森でも、望んだ場所に快適に行ける。まるで『どこでもドア』のような便利さです。日本の発展を支えている整備された交通網に興味を持ちました。当時、タイでは、高速道路の整備が進められていましたが、全国規模で展開するには多くの課題がありました。3週間のインターンシップでは、さまざまな現場を見学し、何度も『PPP(官民連携)』という言葉を聞きました。当時のタイの公共事業は政府主導のため、高速道路の整備も都市間を結ぶ程度でなかなか進みませんでした。私はPPPに可能性を感じ、タイの発展に必要なものだと思いました。20年後の現在、PPPはタイの公共事業でも取り入れられるようになり、日本の知見に学ぶことが増えています」

タイに戻ったカバリンさんは、日本留学の可能性を探ります。自分で見た日本の社会や文化に、タイとの共通点と違いの両面があることを知ったことで、日本への興味がさらに大きくなったからです。

「私が日本で学ぶ機会を得られれば、その知識をタイに持ち帰り、多くの人に伝えることで社会の発展に役立てられる。そのとき、私がイメージしていた将来は学校の先生でしたが、日本への留学が、自分の未来につながっていると確信しました」

海外留学を充実させた家族のような温かさ

カバリンさんは、SIITの先輩から勧められたパナソニック スカラシップに応募。SIITの学生でも、認定されていたのは毎年3人と聞き不安はあったそうですが、家族の声援に励まされ、そのチャンスをつかみます。

「認定までには、いくつかのステップがあります。志望動機を書く書類審査。対面でのインタビュー。それをクリアするたびに喜ぶ母の姿が、私のモチベーションとなりました。しかし、最後に認定の報せが届くと、一緒に喜んでくれると思っていた母は泣き出してしまいました。『嬉しいことなのに、どうして泣くの?』と聞く私に、母は『嬉しい。嬉しいけど、あなたが海外に行くことが心配なの』と言います。両親と私と姉の家族は、ずっと一緒に暮らしてきました。日本で暮らすことが現実になり、私が3年間も家族と離れることに母を不安にさせたのです。一方、私は、母のことは心配でしたが、自分のことへの不安はありませんでした。昔から、チャレンジ精神が旺盛で、やらずに後悔するよりも、チャレンジすることを選んできましたから」

東京大学への留学は、自分の興味関心について研究している先生がいることや、SIITの先輩に東京大学の卒業生が多くいたことなどからスムーズに決まりました。憧れの日本での学び、東京での新生活へのチャレンジ。カバリンさんは、そこからの3年間は、パナソニック スカラシップでの留学だったからこそ、充実したものになったと振り返ります。

「やはり家族と離れた海外での生活には不安や困難も伴います。でも、パナソニック スカラシップのサマーセミナーなどの機会を通じて出会い、交流を持った留学生たちは、同じ目標を持ち、励まし合う仲間となり、温かい友情が生まれました。その温かさはパナソニック スカラシップのスタッフからも感じました。毎月、日本語でのレポート提出が必要でしたが、それは『困ったことがあれば何でも相談してほしい』というやりとりでもあるのです。また、年に1回は大学の研究室を訪問していただき、先生と学びの状況を確認してくれました。資金だけを援助してくれるのではなく、まるで家族のように見守ってくれたことが、とても心強く、勉強にも専念できました」

無事修士課程を修了したカバリンさんに、大学の先生は博士課程へ進むことを勧めたそうですが、カバリンさんは、帰国を決めました。

「3年間離れていた母のことがありました。それに、日本での学びをタイで活かすには、今のタイの課題を知る必要があると思ったのです。私は、まだ社会経験もない。タイで働き、社会を知った上で、さらに先の学びに何が必要かも見極めたいと思いました。日本への留学と学びが充実していたからこそ、さらに自分の将来をしっかり考えることができたのだと思います」

日本留学の経験への期待に応える

帰国したカバリンさんは、日系企業に勤め、コンドミニアムの販売に従事します。日系企業で働いた経験は、現在の仕事にも役立っていると言います。

「2年後、私はタイ政府の公務員となりました。2年間の研修を経て、運輸省の高速道路局に配属。以来、国内の高速道路網の整備に携わっています。日本で感銘を受けたPPPの活用も、現在の仕事には欠かせません。また、日本の交通インフラに取り入れられているさまざまなテクノロジーを、タイのインフラに導入する際に私の経歴はとても期待されています。環境基盤工学の専門知識に加え、タイと日本の違いを知る立場から、双方のコミュニケーションを調整できるからです」

タイの新たな高速走路建築予定地の視察風景。母国に快適な高速道路網を構築することが大きな目標。

M-FLOW(タイの首都高速道路)の料金徴収システムの会合で積極的に発言。日本で体験してきた高速道路システムインフラが大変参考になっていると言います。

子どもの頃の「人の役に立ちたい」という夢は、日本で学んだ知識を母国に教育者として広めたいという具体的な目標になりました。そして日本での学びは、日本の発展と母国の将来の可能性を考える視野を広げます。カリバンさんは、現在の公務員の仕事を夢を目指した先にたどり着いた天職だと言います。

「タイはまだ発展の途上にいます。私ひとりではできることが限られています。政府主導だけでも限界があります。しかし、公務員として、国の目標を広く伝え、計画し、民間の力も集めて実現していく。高速道路が都市を結び、タイ全国を結んでいく。そこに物流が生まれ、経済が活性化し、国力を大きくしていくでしょう。そして多くの人が笑顔になる。人の役に立つ仕事ができることに、毎日、楽しさを感じています」

カバリンさんは、公務員としての経験から見えてきた将来に向けて、国家スカラシップによる東京大学での博士課程の留学準備を現在進行形で進めています。夢は、目標を持ち、ステップを踏めば、必ずそこにたどり着ける。カバリンさんは、「必要なのはチャレンジすること」と繰り返し言います。自分を成長させた海外への留学に、タイの若者にもチャレンジしてほしいと願っています。

「海外留学は、外から自分の環境や母国の実情を見ることで、未来に向けた新しい発見を与えてくれます。そして、パナソニック スカラシップで出会った留学生仲間たちが、今も世界中で活躍していることを思う度に、私は励まされ、新たなチャレンジができるのです」

パナソニック スカラシップでは、将来にわたり関わり合い、お互いを高め合うことができるよう、同窓生同志のつながりの場を提供しています。
パナソニックはこれからも、同窓生同士が交流を深め、世界中で活躍できるように、世界中のネットワークを進化させ、サポートし続けます。