Panasonic Scholarship Alumni  パナソニックスカラシップ体験者が語る未来へのメッセージ

世界を舞台に誰かのために働く。
その情熱の根っこにある「松下幸之助の理念」。

○周才能(しゅう・さいのう)さん
国籍:中華人民共和国
現在の居住国と職種:アラブ首長国連邦・ドバイ コンサルティングとしての活動準備中
2012年認定→東京大学大学院(工学系研究科 機械工学専攻)入学→2015年、修士課程修了後、日本で総合エンジニアリング企業に就職し、エネルギープラントの設計・調達・建設に従事→2021、次のキャリアを求めて休職・英国留学→2023年、英国にてMBA取得、元の勤務先を退職、中東に移居

周才能さんは、現在滞在中のドバイからリモート取材に応じてくれました。英国のビジネススクールでMBAを取得し、次の活躍の場を念頭に準備を進めています。学生時代から思い描いていた将来の自分の姿はエンジニアでしたが、新たにコンサルタントの道を進みます。それは「国際人として世界の人々のために働きたい」という新たな夢への挑戦です。今、これまで自分が歩んできた道を振り返る時、パナソニック スカラシップによる海外留学が大きな第一歩だと実感するそうです。「中国と日本との違いに加え、アジアの国々との違いも知りました。日本での学びと留学生同士の交流が、私を国際人へとステップアップするよう背中を押してくれた」と言う周さんに世界の人々と仕事をするコツをうかがいました。

「物をつくる前に人をつくる」──松下幸之助氏の理念を受け継ぐ。
国際人を目指す自分の起点となった日本留学

周さんが学んだ西安交通大学は、中国で最も早く創立された近代高等教育機関の1つで、工学分野では国内トップの大学です。そこでエネルギー工学を専攻した周さんは、エンジニアになることを目指していました。

「私が中学生の頃、ふるさとで天然ガスによる大きな事故が発生しました。多くの被害者の中には、周辺の人や友人の家族もいて、誰もが悲しい思いをしました。エネルギーは必要で便利なものだが、危険なものでもある。そのエネルギーを安全に使えるよう、自分が貢献できたなら、多くの人を幸せにできるかもしれない。そう思って勉強しました」

この志を持ちましたが、大学の学部の学びだけでは足りないと周さんは考え、海外留学を目指します。候補の国は、米国、ドイツ、そして日本でした。学部の先生からパナソニック スカラシップを薦められた時、アニメで親しみを抱いていた日本文化への関心とともに、パナソニックグループを創業した松下幸之助への敬意が、周さんに日本への留学を決断させました。

「松下氏は、私のような大学生たちだけでなく、私たちの親の世代の中国人からも、まだ中国が国際的な市場として先行きが見えない時代に、中国の人々と社会の可能性を見出した人として知られています。『物をつくる前に人をつくる』という格言も印象深く思っていました。その松下氏の理念から生まれたスカラシップであることに興味を持ちました。私は、大学の中で学ぶだけでなく、その国の人々の考えや暮らし、会社での働き方や組織のあり方なども知りたいと思っていたからです。『パナソニック』には、そのすべてとのつながりを期待しました」

今、周さんは、1人のエンジニアとしてのものづくりから、コンサルタントとしてより多くの人や社会を豊かにする役割を担える国際人材へとなるべく自身のステップアップに挑戦しようとしています。「なぜそうするのか?」と自問する度に、「人のために働く」ことが仕事の意義だと再確認する周さんは、自分の中に「松下幸之助氏の理念」が根付いていることを感じるそうです。

2012年。大阪で開催された奨学金認定式での記念写真。

中国、日本、アジア、そして世界へと広がった視野。
グローバル的な社会人という夢が見えてきた。

周さんは、日本での留学経験を「楽しかった」と振り返ります。

「期待通り、日常生活そのものが学びでした。中国を出ることで、自分の考え方には『中国式』の枠があることを知りました。その『中国式』と『日本式』とでは、コミュニケーションの違いは興味深いものでした。さらに、パナソニック スカラシップによるアジア各国からの留学生との交流は、コミュニケーションを通じて互いの違いを認め合うことの大切さを学ぶ機会となったのです。その経験は、社会に出てからの私が成長していく上で、とても役立ちました」

東京大学で学び、修士を取得した周さんは、日本での就職を希望した通り、ある総合エンジニアリング企業に就職しました。学んだ知識、身につけた日本の仕事の仕方、技術力を国際社会で生かすためには、世界各地でエネルギープラントを造る実績を持つ日本企業が最適と考えたからでした。

「中国国内で思い描いていたエンジニア像が日本留学で変わっていたのです。技術はすべての土台です。エンジニアはその上にさまざまな設備を構築できる。しかしその技術は、どこの・誰が・なぜ必要なのかを知り、応えるために必要なものだと思うようになりました。日本とか、中国とか、どこか一国の中で役立てばいいのではなく、さまざまな国で多様なニーズに向き合い、その暮らしを豊かにし、その人々を幸せにしたい。日本の素晴らしい技術を、エンジニアリング、調達そして据付などの道で、世界に発信する自分でありたいと思ったのです」

そして周さんは、その思いを実現していきます。その後6年間、エンジニアとしてシンガポールや米国、中国でのエネルギープラント建設に携わることができました。時には、日本で設計したモジュールを中国で作り、それを米国に持ち込んでプラントを建設。そこで生み出されるエネルギーが米国やアジア諸国の街で役立つ。まさに周さんが思い描いていた技術の国際的な活用が現実のものとなったのです。

「そうした仕事をする上でもパナソニック スカラシップ奨学生として日本で学んだ経験が役立ちました。計画と準備を重視し、スモールステップを重ねて確実に物事を進める『日本式』の仕事の仕方。異文化コミュニケーションで身につけた、相手が望むものは何かを知り、それに応えるために自分に何ができるかを考え、実行できる対応力。多くの国を橋渡しし、多くの人が関わるプロジェクトでした。総意をまとめ、プロセスを上手に進めていく役割を担える。そうした立場の自分になれたことがとてもうれしかったですね」

2013年、滋賀で行われた奨学金制度の同級生と過ごした夏研修の写真。

2014年の夏研修では、仲間と劇で「悪役」を演じました。

2015年、東京で開催されたパナソニック スカラシップ懇親会での写真。

エンジニアからコンサルタントへ。
人生の次のステップに進む自分を後押ししてくれるもの。

国際舞台で活躍する周さんに、多国籍の環境で働く上でのコツをお聞きしました。

「異なる国同士の間でアイデアを計画に移し、実際のものづくりの各段階に移していく。どのフェーズでもいろいろな人が集まり、限られた時間の中で最善を尽くさなければなりません。ものができればいいわけではなく、安全に機能し、安心して使え、人々を豊かにするのが目標なのです。作る人も使う人もすべて人です。背景も考えも、好みだって違います。それをまとめようとする時には、一見、複雑で異なるように見える全体像の中に、それぞれのこだわりや目的の中にある共通部分を見つけ出すのがコツです。同じ人間同士ですから、共通部分は必ずあります。それを見つけ、まとめるチームリーダーに必要なのはコミュニケーション力です。思えば、パナソニック スカラシップの奨学生たちは、誰もがコミュニケーション力が高かったと思います。異なる背景を持つ若者たちが、母国と異なる日本の環境で共通体験をしていたからかもしれませんね」

今、ドバイの地で次の人生のステップとなるコンサルタントとして活躍する準備を進めている周さんは、「少なくとも5年はここにいるかな」と考えています。

「MBAを取得したなら投資部門で働けばいいのにと言われたこともあります。たしかにお金は多くの設備を生み出す原動力です。しかし、私は自分のアイデアが誰かの暮らしに役立つまでのすべてに関わり、結果を見届けたいのです。社会に影響を与える、良くしていく仕事がしたいからです。エネルギーの技術は石油やガスだけではなく、再生エネルギーの分野でも進んでいくでしょう。例えば、再生可能エネルギーで様々な新技術が開発されています。今後10年間、どの技術がより多くの投資されるべきなのか。それは地域によって異なるでしょう。従来のエネルギー技術を新しい技術に変換するためには、どのように解決するのか。こうした課題を解決するために、私はコンサルタントとして最低でも5年、もしかしたら10年、この中東で働きたいと思っています。」

その先は? という問いかけに、周さんは「世界中」という視野で将来を考えていると答えました。

「日本への留学からスタートしたこの10年間は、私にとって“国際的な人間”へと進む道を自ら切り拓く時間だったと思います。中東の次はたぶん世界中のどこかに行くかもしれません。中国と日本と自分との結びつきを持ちながら、エネルギーに関わり自分が役立つ仕事を世界中に見つけ出していく。その思いは日々強くなっています」

2023年、UAEのAbu Dhabiで 4歳のお子さんとの旅行写真。