Panasonic Scholarship Alumni  パナソニックスカラシップ体験者が語る未来へのメッセージ

パナソニックの企業理念の「伝道師」として、社の内外、
そして世界中の人びとに伝えたいこと。

○王翔(ワン・シャン)さん
国籍:中華人民共和国
現在の居住国と職種:日本 パナソニック オペレーショナルエクセレンス株式会社
2000年認定→京都大学大学院(工学研究科 環境地球工学専攻)→2002年、修士課程修了後、パナソニックに「初の外国人正社員」として入社。2009年にはチューター(先輩指導員)として新人社員研修を担当→2020年、パナソニック オペレーショナルエクセレンス株式会社(組織・人材開発センターにて、経営理念研修部門に就任)

王翔さんは、高校生の時に日本留学を決断。ふるさとの経済発展に伴う環境への影響や課題を解決できる人間になりたいという思いを胸に、京都大学の研究室で水質改善の研究に取り組みます。卒業後、アカデミックの道ではなく、パナソニックに入社し、ものづくりの道に進んだのは、創業者・松下幸之助の「理念」に深く共感し、その企業活動の未来に可能性を感じたからだと言います。「中国と日本の架け橋になりたい」「世の中を良くする仕事がしたい」。そうした王さんの思いは、20年を経た今、人生の道として確かな歩みを進めています。その先に見えた、ものづくり、人づくり、世界に広げたい人材育成の考えについて語っていただきました。

「学ぶ機会」を無駄にしないために学ぶ。奨学金はさらにその先の一歩へ背中を押してくれた

中国・天津で生まれ育った王さんは、高等学校卒業後の進路として私費での海外留学を選びました。王さんが子どもの頃、ふるさとは自然が豊かな環境でしたが、道路ができ、街が開発され、発展が進む一方で、川や空気や緑といった自然環境はマイナスの影響を受けていることが目に見えて分かったそうです。自分に何かできることはないか? そう思い、調べていくと、日本でも経済発展の代償として「公害」が広がったこと、環境保護の広がりと技術の発展で解決に取り組んできたことを知り、日本で工学を学ぶことを決めたと言います。

「それ以外に日本への興味もありました。当時の中国では、日本のドラマや音楽が今の韓流のように人気でした。経済成長や暮らしが豊かになっていくのを実感させてくれたのは日本の家電製品でした。メードインジャパンは、高級品のイメージもありましたが、高品質で丈夫な製品として信頼もされていたのです。そうした日本の良いイメージを大人たちが語る時、必ず登場するのがパナソニックであり、その創業者・松下幸之助でした。企業家としての知名度に加え、最初に中国の市場に可能性を見いだし、工場や技術を持ってきた人としてとても尊敬されていたのです」

ふるさとの未来に役立ちたい。そのためには環境問題に役立つ工学を学びたい。王さんの思いは、日本への留学で大きな一歩を踏み出します。この機会を生かすために、王さんは懸命に学びに取り組みました。日本語学校に通い、京都大学で学び、大学の研究室では琵琶湖の水質調査の研究に没頭したそうです。

「その時は勉強に必死だったので、あまり意識していなかったのですが、今の自分に役だっている学びは教室や研究室の中だけで得たものだけではありませんでした。大学の寮に入り、同世代の日本人と暮らしましたが、中には自由気ままな学生生活を過ごしている学生もいました。私は『自由』という意味を考えました。それは素晴らしく、また楽しいものですが、若者には『ハングリー』であることも特権だと思ったのです。それは、何かを希求する『志』でもあり、私にとっては『世の中を良くしたい』という思いがあることを確認する機会となりました。私の『自由』には、自立が必要だ。だからこの学びの機会を無駄にはできない。そう思って勉強に打ち込みました」

また、日本語学校でも研究室でも、日本人以外のさまざまな国の人びとと出会ったそうです。欧米人、アジア人、アフリカ人……。中国にいた時は「日本」しか思い描いていなかった王さんですが、一歩外に飛び出したら自分の周りには「世界」が広がり、自分もその中の1人であることを日々実感することになったのです。やがて、王さんはそうした環境で学びを深めるために京都大学大学院への進学を決めます。学びの努力は、学部有数の成績となって実を結び、大学院進学のための試験を免除されました。しかし、隣県滋賀県の琵琶湖湖畔にある研究室に通いながら研究に従事するとなると、それまでの公的な奨学金では足りず、中国語指導のアルバイトも続けることができません。

「すると、1つ上の先輩が、自身が認定されたパナソニック スカラシップを勧めてくれたのです。認定を得ることができ、そのお陰で2年間の大学院生活の間、充実した研究生活を送ることができました。他大学から来た人や、海外からの留学生、さらには学会参加のために来日する海外の著名な先生たち。彼らとの出会いから多くの刺激を得、さらには今につながる国際的なネットワークを持つことができました」

大学の研究室からものづくりの現場へ──「パナソニック」の可能性に賭ける

大学院修了後の進路として王さんが選んだのは、パナソニックへの就職でした。その決断の背景には、パナソニック スカラシップでの経験が大きいと言います。

「パナソニック スカラシップを通じて出会った留学生同士の交流は、それ自体が国際的な体験でした。学びの意欲が高く、母国や国際社会への貢献への志など、互いに同じ思いを語り、切磋琢磨し合える人びととの出会いは、『自分も負けられない』という気持ちを持たせてくれました。そして、そうした私たちを見守るパナソニック スカラシップのスタッフの方々にも感銘を受けました。見学させていただいたパナソニックの関連施設、歴史館や技術館の人びとも快く迎えてくれた上に、全力で私たちに教えてくれました。その素晴らしさを感じる度に、パナソニックのすみずみに創業者・松下幸之助の『物をつくる前に人をつくる』という言葉が頭に浮かび、その理念が私に染みわたっていくように感じました」

王さんは、大学と大学院で没頭した学問・研究の道と社会人として働く道とを前にして、自分の未来を何度もシミュレーションして考えたそうです。そして、パナソニックの一員となる道を選択しました。

「中学生だった私が思い描いた、環境の課題に取り組みたいという未来。大学で身につけた化学の知識。その時点では、そうしたものとパナソニックの企業活動とが直接重なる部分は見えませんでしたが、創業者の理念、出会ったパナソニックの人びと、何よりもパナソニックが私たちアジアの学生に国際社会の人材となるチャンスを与えてくれていることなどから、私はこの会社に大きな可能性を感じました。ここで社会人として生きていくことで、私の願った「中国と日本の架け橋」「環境課題への取り組み」という未来につながると思えたのです」

「松下幸之助の理念」を世界へ──その伝道師を世界中で育てる

王さんの予感は的中しました。最初の10年間、中国の市場や企業との折衝の現場で即戦力として働きながら、エアコンを中心としたものづくりの難しさと面白さを体感し、学んでいったそうです。ビジネス、経営という側面と、人びとの暮らしを便利に豊かにするという理念。それが両輪となってものをつくりだす。自分がつくった製品が店頭に並び、家族や知人がそれを買い、その暮らしに役立ち、「いい製品だね」と喜んでくれ、それを自分もまた喜ぶ。そうした仕事に王さんは大きなやりがいを見出すことができました。

「2008年の北京オリンピックの年に、母国から胡錦濤国家主席が来日し、パナソニックを視察することになりました。私を含む中国人社員数人が選ばれ、製品や工場の説明を担当することになりました。私は、エアコンや冷蔵庫、洗濯機、エコキュートなどの説明をさせていただきました。当時、中国製のエアコンは省エネ基準では低いランクにしか対応できていませんでした。私はインバータの技術を説明しながら、日本の省エネ基準の厳しさが電力や環境にいかに影響するかを伝えました。それこそが私が日本で学んだことであり、多くの人に、中国の人びとにも知ってもらいたいことでもあったのです。その後、中国製エアコンもその基準をクリアしていきます。そこには、欧米や日本、中国の家電ビジネスの競争という側面がありますが、人びとや環境から考えれば、環境負荷の少ないエアコンが求めやすい価格で世界に広がっていくという効果もあるのです。これこそが、私がパナソニックに感じた可能性そのものです」

その後、王さんはヨーロッパや東南アジアでの製品普及に取り組みます。日本で成果を出した技術でも、各国の水質の違い、制度の違いによりそのままでは普及できないものも多く、常に課題にぶつかるそうです。そのたびに、解決の糸口となるのは研究の場で培った探求し課題を解決する能力と、「松下幸之助の経営理念」に根ざしたものづくりの精神だと王さんは言います。

「パナソニックには、創業者の遺した言葉に基づく『綱領』『信条・七精神』経営理念として掲げられています。私は、仕事の課題を前にすると常にここに立ち戻ります。そして考えます。『綱領』では世界文化の進展への寄与が、『七精神』ではその実践のための心構えが書かれています。松下幸之助は、1932年に『水道哲学』と呼ばれる理念を発表しました。それは『水道のごとく物資が豊富で安価になれば、貧乏は克服できる』という言葉です。私はこれを当時の社会課題=貧乏の克服だったが、今の時代の社会課題=環境問題の克服と理解することもできると考えます。また『七精神』にある『産業報国の精神』の『国』は、グローバル企業となったパナソニックにとっては『世界の国々』と言えるでしょう。産業報国とは、『理想の社会』の実現に向け、事業を通じて世界の国々の発展と繁栄、地球環境との調和に貢献することなのだと考えると、私の視界から霧や靄が消えるのです」

2020年、40代半ばとなった王さんは、これからの自身のキャリアプランを考え、新たな道を選びました。現在勤めているパナソニック オペレーショナルエクセレンス株式会社は、グループ全体の人材育成、成長と自己実現を支援する会社です。王さんは2009年に「チューター(先輩指導員)」として新入社員の研修を担当して以来、自らも探求を重ねた「松下幸之助の理念」を人びとに伝えることの大切さを常に感じていたそうです。そして、新入社員に経営理念を伝える「伝道師になる!」という思いを強く持つようになったと言います。

新人の人材育成と成長を支えるセミナーの模様。

セミナーはオンラインでも行われています。

経営伝道師として松下幸之助の理念を世界の広げる活動は、世界中へ広げようと挑戦中。
写真は2022年シンガポール。

「パナソニック グループの新入社員の研修指導に加え、私も経験したチューターと呼ばれる『先輩講師』の育成にも力を入れています。さらに海外のグループ企業でもそうしたチューターを育成することに取り組んでいます。パナソニックのグループ社員は全世界に24万人。パナソニック製品を利用した人は全人類の1%に及びます。私たちの経営、そしてものづくりに根ざす理念は、社員の仕事を通じ、生み出された製品を介して世界に広まっていきます。創業者に始まるこの理念を薄めることなく、次世代の社員にも伝えていくこと。さらにはこの理念を社内だけでなく、社外にも公開し、私たちの指針として発信し、その理念に私たち自身が背いていないことを世界中の人にチェックしていただく。そのために2021年には約60年ぶりに『経営基本方針』を改訂し、公開しました。企業は社会の公器です。世の中を良くしていくためにあることを、あらためて社の内外に宣言する機会に私自身が立ち会えたことは、大きな喜びです」

王さんは、日本への留学を機会に、国際的視野を広げ、世界中の人びととのコミュニケーションを持つことを実現しました。今、人材育成の役割を担う立場から、現在の若い世代にも海外留学、異文化環境下での生活、自らの目で確かめ先入観のない見聞を広める機会の必要性を伝えたいという思いを強く持っていると言います。国と国との架け橋になる。社会に貢献する国際人材になる。そうした思いの実現の道筋を照らす言葉として、松下幸之助氏の「理念」をこれからも伝えていきます。