Panasonic Scholarship Alumni  パナソニックスカラシップ体験者が語る未来へのメッセージ

海外留学は自分への挑戦。
その学びと異文化体験が、大きなステップアップに。

○ノライシャ・ビンティ・モハメド・シャー
国籍:マレーシア
現在の居住国と職種:マレーシア 大学講師
2000年認定→2001年~2003年大分大学大学院(工学研究科専攻科)→2003年、修士号取得後、マレーシアに帰国して大学で教鞭をとったのち、再び留学→2014年、アメリカで博士号取得→マラヤ大学工学部電子工学科にて現職

ノライシャさんは、マレーシアで最も歴史があり、最高峰の国立マラヤ大学で電子工学を研究。日本でいう准教授の立場にあたる、上級講師として勤務しています。近年、世界的な躍進が注目されているマレーシアの大学の中で、特に評価が高い分野の一つといわれている電子工学科の将来を担う存在である彼女も、パナソニック スカラシップの支援を受けて日本で学んだ経験を有しているのです。

理にかなった準備とアピール、コミュニケーションが決め手

「私は今、マラヤ大学で働いています。自分の研究を進めるだけでなく、学部生や大学院生の授業を受け持ち、学生の学習活動を管理、促進するのが主な仕事です。この大学の学士課程で電子工学の基礎を学んだあと、パナソニックから奨学金を受給して日本へ渡り、大分大学の修士課程で人工知能に関する学びを深めました。コンピュータサイエンスを司る学科で、画像処理にまつわる研究をしました。その後マレーシアに戻り、数年講師として在籍したのち、2009年にアメリカへ。アメリカでは博士論文の一部となった衛星通信に関する研究を行いました。2014年に博士号を取得し、帰国。今は再びここで教壇に立っています」

ノライシャさんが日本で修士課程へ進学した2000年から2003年は、「人工知能」という言葉の意味が現在とは少し違っていたといいます。
「昨今は機械学習の技術が開発されて、とても進歩していますよね。それとは異なり、当時は基本的なアルゴリズムを用いて人の顔を検出したり目の位置を特定したりと、画像データを分析することで判断するのが一般的でした。つまり、より数学的で情報的だったわけです。日本の修士課程ではまず1年授業を受け、翌1年は研究に時間を費やしましたが、今私が受け持っている学部や大学院のコースを設計するのには、この経験がとても役に立ちました。例えば学部生の選択科目として新設した、『画像処理』という授業。これには日本で学んだことがいきました」

ほかの多くの学生と同様に留学を夢見て、学士課程を終えた頃にはさまざまな奨学金について調べていたというノライシャさん。
「実は大学がパナソニックと協定を結んでおり、ある日、数人の学生とともに面接に呼ばれたんです。もともと日本に興味があって、日本で学ぶ予定の学生が準備のために受ける日本語プログラムを受講した経験も。そこでは日本人の友人ができ、着物や漢字といった文化に触れてワクワクしました。友人が何人か日本語を勉強してマスターしていたので、“きっと私にもできるはずだ”と自然と思えましたね。英語圏に行くのとは違い、言語だけでなく文字体系から学ぶ必要があるので、私たちにとって日本への留学は簡単ではありません。でも、異文化を体験することに強い意欲を覚えたんです」

日本語コースでの経験を生かし、パナソニック スカラシップの面接では、日本語での自己紹介に挑戦。それが面接官に喜ばれたのだと思う、とノライシャさんは振り返ります。

「一般的に、自分の人となりや計画をどう伝えるか、どのように語るかといった方法を考えることは、面接での大きな助けになります。私は面接官に好印象を持ってもらいたかったので、事前に日本語の基礎や挨拶の仕方を勉強しておきました。また、自分の学習分野に強い日本の大学の情報にも目を通し、どの教授のもとで何を学びたいのか、といった質問にも備えておきました。こうした少しの努力と準備が、選考過程で良い方向に働いてくれたのだと思います」

スカラシップに支えられて立ち直った経験

学部では成績優秀、自らの能力を的確に伝えるコミュニケーション能力も持ち合わせていたノライシャさんでしたが、パナソニック スカラシップ生として日本に渡った直後に、思わぬ出来事に遭遇してしまいました。
「実は、当初は大阪大学に進学予定だったのですが、準備が間に合わず、入試に落ちてしまったんです。ずっと優等生だった私にとってはとても大きなショックでしたし、特に右も左もわからない外国でそのような状況に直面し、受け入れるのがとても大変でした」

奨学金の受給が決まったあとの青天の霹靂に、途方に暮れてしまったのは無理もありません。そこに寄り添ったのがパナソニック スカラシップだった、とノライシャさんは言います。

「みなさんとても親切で、『面談しましょう』と電話をくれたり、ほかの大学の探し方を指導してくれたり。実務面でも精神面でも手厚くサポートしてくれたんです。そのおかげで私は立ち直ることが出来ました。再び、自分を信じることができるようになり、大分大学を受験することに決めました。幸い、大分大学の入試まで、少し時間があったので、大分県に移って数カ月間準備し、晴れて合格したのです。一度目の試験に落ちてスカラシップの担当者と会ったときは、皆さんを失望させてしまったと申し訳ない気持ちで一杯でした。でも、彼らは私の立場や気持ちをとてもよく理解してくれて、食事に連れていってくれたり、同じような経験をした学生時代の話をしてくれたりしました。それで、“私に起こったことはアンラッキーだったけれど、乗り越えられないことではない”と考えられるようになったんです」

家族のように寄り添い、支えてくれた友人やスカラシップ

「パナソニック スカラシップは金銭的な支援だけでなく、留学期間中のイベントやアクティビティも企画してくれたので、気持ちのうえでも助けられました」とノライシャさん。

「定期的に大阪でミーティングがありましたし、夏休みにはツアーが催され、いろいろなところを訪れたり旅館に泊まったりしました。マレーシアだけではなく、インドネシアや韓国、タイ、ベトナムなど、ほかの国からの留学生もたくさんいました。集まりがある際には互いの文化を紹介し合うカルチャーショーを開催しました。だから、日本以外のほかの国についても知る機会が多く、いつも目を見張るようでした。このような活動は私たちに、異国の地で生活する苦労やストレスにともに立ち向かう、小さな家族のような感覚をもたらしてくれました。
その頃は今のようなSNSやビデオ電話といったテクノロジーはなく、電話やメール、テキストメッセージで連絡を取り合うのが精一杯でした。問題が生じれば、人とじかに会い、会話することが当たり前でしたが、それは孤独になりがちな留学生にはとても助かりました。日本でのこうした経験は、私自身が講師として働く今、マレーシアに留学生としてやってきている外国人学生たちにどんなサポートが必要なのかを理解する助けにもなっています」

日本の文化で特に印象深かったことは何かを聞いてみると、次のような答えが返ってきました。
「日本には、ひな祭りがあるでしょう。きれいなお人形や飾りがあって、それがとても好きでした。日本では子ども達の健康や成長を祝う文化があるんだと知って、とても素敵だと感じましたね」

日本での留学中は様々な日本の文化や情景を見ました。写真は2001年、鹿児島大学に通う友人を訪ねた時に、見学した桜島。

2002年に訪れた広島平和記念公園。数々の記念館を視察しました。

世界を視野に学び、産業界とも連携して国の発展を支える

研究面では、日夜理解を深めている学問の基礎を学んだことのほかに、研究への取り組み方や進め方のメソッドを身につけられたのも彼女にとっては大きかったといいます。

「日本の大学では毎週グループミーティングがあり、全員が自分の研究について進捗をプレゼンテーションするんです。そのおかげでお互いの課題やアプローチ方法を学ぶことができ、とても役に立ちました。だから今、私が生徒たちを教えるときにもこの方法を採用しています。私自身も含め過去1週間でどんなふうに研究を進めてきたかをシェアしつつ、私は講師として基礎的な情報を提供し、学生たちがより深く理解できるように努めます。大分大学の教授からは、そうした方法論も学ばせてもらいました」

大学で教える仕事を心から楽しんでいるノライシャさんは、今後も学生が興味を持ってよりよく学べるような授業を“デザイン”していきたいと語ります。
「同時に、今は衛星通信と機械学習の研究をしているので、マレーシアで衛星通信サービスを提供している企業に働きかけ、産業界と大学をもっと連携させていきたいと考えているんです。企業からさまざまなデータや学生が解決できる研究課題を提供してもらい、うまくコラボレーションできれば、研究も産業もより発展させられると思います。この動きをもっと大きなものにしていきたいですね」

言語の壁に生活様式や文化の違いなど、海外で学んだ経験はノライシャさんにとって学問を修める以外にもさまざまな試練をもたらしました。しかし、困難に直面した数だけ、パナソニック スカラシップや周囲の人の助けを借りながら、それを乗り越えてきたのです。

「日本に来たばかりの頃、何度も道に迷って、ちょっと怖い思いをしたのを覚えています。でも、本当に困ったときは警察官が助けてくれました。道を尋ねると、クルマで目的地まで送ってもらったこともあります。留学生を支援している家族にも出会い、日々の食事から引越しの際の家具の調達まで、困ったことがあるといつも助けてもらいました。
もし留学を考えている人がいれば、その時はぜひ勇気を持って大胆に新たなことへ挑戦してほしい。その国の言語を学んだり、そこからまた他の国を訪れたりしてほしい。特に電子工学の分野では、その国の言語で専門用語を知る必要があります。だからこそ、異国の地で学ぶことは大きなチャレンジです。だからこそ乗り越えたときの成果はとても大きいのです。卒業後であっても、大学院での研究に興味がある学生には、私は留学をおすすめしています。異国に出て視野を広げ、ほかの国や文化を見れば、技術や仕事面だけでなく人間的にも成長できるのですから」

現在の職場、研究室

インドからの短期留学生との1枚