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いきいきライフデザインマガジン

第34回「認知症とともによりよく生きる未来」とは

写真:堀田聰子 先生 写真:堀田聰子 先生

慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科教授

堀田聰子(ほった さとこ)先生

団塊の世代が75歳以上になる2025年には、高齢者の約5人に1人が認知症になると言われています。誰もがいずれ認知症になることを前提に、認知症のある方の想いや体験や知恵をみんなで共有して、安心して認知症になれる社会をつくる。そんな試みがすでに始まっています。
「認知症未来共創ハブ」代表の堀田聰子先生に「認知症とともによりよく生きる未来」へのヒントをお聞きしました。

安心して認知症になれる社会に向けて 安心して認知症になれる社会に向けて

認知症になっても、できるだけ自分のことは自分で、必要な助けを借りながら、笑顔で過ごす方々が少しずつ増えてきました。そういう方々の姿や声が社会の灯りとなり、国レベルでも認知症になっても希望を持って日常生活を過ごせる社会を目指してさまざまな施策が推進されています。けれども、ご自身やご家族が認知症となったことで、日常生活や仕事で壁にぶつかり、うずくまっている方もたくさんおられます。
そこで、私たち「認知症未来共創ハブ」*では、当事者、家族や支援者、地域住民、医療介護福祉関係者、企業、自治体、関係省庁、研究者等が協働することにより、認知症のある方の思い・体験と知恵の蓄積、学術的知見との融合、認知症フレンドリーな事業、商品・サービスの共創、政策提言に取組むことで、認知症とともによりよく生きるいまと未来、つまり安心して認知症になれる社会環境をつくることができればと活動を重ねています。

*認知症未来共創ハブ:2018年に慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター、日本医療政策機構、認知症フレンドシップクラブ、issue+designの4団体が運営団体となって設立。

説明図:認知症未来共創ハブとは認知症の方は、家族・支援者などの当事者参加型パネルと、企業や、自治体、医療・福祉関係者、研究者などが関わり愛、実証実験や、学術評価を行いながら、政策提言を実施。認知症とともに、よりよく生きる社会をめざす団体です。

「経験専門家」である当事者は、未来へのトップランナー 「経験専門家」である当事者は、未来へのトップランナー

私たちの活動の要と言えるのが当事者インタビュー(当事者参加型パネル)です。「経験専門家(expert by experience)」である認知症のある方の願いと体験する世界、トラブルや誤作動とそれとつきあう知恵に光をあてること、それを、誰もが「じぶんたちごと」ととらえやすいように表現することにこだわっています。
認知症とは「認知機能の低下によって日常生活・社会生活に支障をきたすようになった状態」のことを言います。つまり認知症は、社会と個人の間に生まれる「状態」で、今は社会が追いついていないことによって、いわばトップランナーである認知症のある方々の苦労が生まれているのです。物理的な環境、制度や仕組み、文化や慣習、人々の考え方等がアップデートしていけば、認知機能の低下による困難は小さくなっていくはずです。

トップランナーの1人である丹野智文さんはこんなふうに語っています。

「何もできないと決めつけて、できることを奪わないでください。僕たちが求めているのは、守られることではなく、周囲の力を借りながらでも自分で課題を乗り越え、自分がやりたいことをやり続けたいのです」

丹野智文(おれんじドア 代表/認知症未来共創ハブ 評議員)

私たちは、この言葉を大事にしながら、認知症のある方がどんなことに困っているのか、どう切り抜けているのか、本当はどんなことをやってみたいのかをお伺いして共有すること、「やってみたいこと」を1つひとつ一緒に形にしていくことが、誰もが暮らしやすい未来に向けた大きなカギとなると思っています。

「まぁいいか」と折り合いをつけ、小さな幸せを大事にする 「まぁいいか」と折り合いをつけ、小さな幸せを大事にする

認知症の診断を受けてから、積極的に自らの言葉で発信してくださる方も増えてきています。それでも、できるだけ多くの方々が身近に感じられる先輩に出会えるように、認知症未来共創ハブの立上げにあたって、診断名や進行段階、年代や家族構成、住まい、地域など多様な方々に、とにかくまず100人お話を伺おうと心に決めていました。
全国各地で100人の当事者に出会い、みんなで振り返ってみると、多くの方々がささやかな日々の暮らしの幸せを語ってくださっており、それが感じられる秘訣のようなものも浮かび上がってきました。
ひとつは、うまくできることがいいことだという考えを手放すことです。例えば料理が好きなAさんは、認知症になる前は、出来上がった料理に家族が調味料を加えるのは嫌だったそうですが、今は、自分から食卓にマヨネーズやソースを出して、「なんかいろいろ足したとしても、あんまり気にしない」とおっしゃいます。完璧な味つけでなくても、手の込んだ料理でなくても、自分で料理ができて、みんながおいしく食べられればそれでいいというわけです。ご家族から見ると、湯はりを忘れたり、シャンプーとボディソープを間違えたりするので、「ひとりでお風呂に入れない」というBさんは、ボディソープで髪を洗っても「ごわごわするけどまあ洗えてるからいいか」、お湯がはれてなければ、シャワーで済ませればOK、ひとりでお風呂に入れるのです。多少の不便があっても「まぁいいか」と折り合いをつけています。
「名前と顔が合わなくたって相手が覚えてくれたらいい。こっちは『こんにちは、〇〇さん』って言わなきゃいいの、『こんにちは』だけでね」というCさんに、「散歩は犬と一緒にいく。犬には帰巣本能があるからね。道がわからなくなってもついていけば家に帰れる」というDさん…仲間に巡り合えた当事者の皆さんは、ときに発想を転換して豊かな知恵を分かち合っておられます。
「ちょっとした幸せ」「ちょっとした自慢」を喜びあえることも大切です。「お化粧をすると、鏡を見た時に元気になる」という方は、「元気な自分を見ると、家族も喜んでくれる」とおっしゃいます。
「私はローストビーフをとっても薄~く切れるのよ」と嬉しそうに話してくださった方もおられます。この方は、以前は家に来られるお客様にローストビーフをふるまわれていました。じつはもうローストビーフを焼くことはないのですが、娘さんも「そうよね、お母さんのローストビーフは本当に美味しいのよね」と相槌を打ちながら、二人で愉しそうに話されます。

「ポジティヴヘルス」という新しい健康の概念 「ポジティヴヘルス」という新しい健康の概念

じつは、健康の概念も、時代と共に変わっています。かつてのWHO(世界保健機関)の定義では、健康とは身体的・精神的・社会的にすべてが満たされた「状態」でした。2011年にオランダの家庭医であったマフトルド・ヒューバー氏が唱えた新しい健康の概念「ポジティヴヘルス」では、社会的・身体的・感情的な問題に直面したときに適応し、本人主導で管理する「能力」を健康と捉えています。医師が健康かどうかを診断してくれるわけでも、健康を維持するための知恵を教えてくれるわけでもない。生きていればいろいろな困難がやってくるもの。先に困難を経験した人たちに学び、必要な助けを得て、前向きに歩いて行ける力こそが健康!というわけです。医学的に見れば「病気」だとしても、本人がじぶんの状態を踏まえて、何を望んでどこに向かいたいのかという思いやエネルギーがわきあがってきたら、それは健康であるということになります(図)。
インタビューのなかで教えられたことのひとつは、認知症のある方は、ご自身の状態を理解して、戦略を立てていらっしゃるということです。「新聞取ってるんですよ。ほとんど読んでないけどね。そうしないと日にちと曜日がわからないからね」「よけたつもりがぶつかっちゃうからね。廊下のずうっと向こうから人が来たら、もう動かないようにしてるよ」…。
ぜひ、ご本人とご家族やまわりの方々で、いまの状態、できること・できないことに加えて「やりたいこと」を話し合って頂きたいと思います。「今朝、なに食べた?って言われてもわかんないんだよね。でも、今晩食べたいものはあるんだよ」というEさんの言葉も印象的です。まず食べたいものからでもいいかもしれません。
認知症のある方は、「周囲に迷惑をかけたくない」と遠慮したり、「言ってもどうせできないから」と思い込んでしまい、なかなか口にはしませんが、じつはやりたいことをお持ちです。インタビューでは、ある当事者の提案で「やってみたいこと」をお尋ねするようになりました。過去に好きだったこととは限りません。会社員だったBさんは「料理屋をやりたい」と言われ、その後、実際に地域の居場所で料理をつくって、仲間たちにふるまっています。「できなくなったこと」や「過去」にこだわらず、これまでやったことのないチャレンジをしてみることも、前向きに暮らす秘訣のようです。一緒に挑戦することで、新たなつながりや仲間が生まれていきます。
認知症に限らず、老化に伴って、誰もがいずれいろいろなことができなくなっていきます。「まぁいいか」と折り合いをつけ、小さな幸せを見つけること、対話のなかから望みを形にしていくことで、健康でいつづけられる。ポジティヴヘルスは、私たちみんなに希望を与えてくれる考え方ではないでしょうか。

ポジティヴヘルスの対話ツール「スパイダーネット」  まず本人が6次元でじぶんのことを評価します。それを本人がどう考えてどうしたいのかを中心に、望んでいることの実現に向けて対話を繰り広げます。点数が低いから悪く高いからよいというわけではなく、点数を高くすることが目標ではありません。 1身体の状態、元気、調子がいい、症状・痛みがない、よく眠れる・食欲がある、スポーツ後など身体の回復が早い、身体が軽い  2日常機能 身のまわりのことができる、自分の限界を知る、健康を保つ知識、日常生活の計画、金銭管理能力、労働・ボランティア活動ができる、支援を求められる 3心の状態 記憶力、集中力、意思疎通力、朗らか、自己肯定感、問題解決能力、自己調整能力 4社会とのつながり 他者とのつながり、尊重してもらえる、楽しみを共有できる仲間、必要なとき支援してくれる人、居場所がある、やりがいある活動・仕事がある、、社会に対する関心 5いきがい 意味のある生活、いきがいのある生活、食欲がある、達成したい理、将来に希望が持てる、人生の満足感、感謝の気持ち、生涯学習 6暮らしの質 生活を楽しめる、幸福感、しっくり感、バランスのある生活、安心感、住まいと同居者への満足、十分な生活費

出典:Institute for Positive Health作成

注:まず本人が6次元でじぶんのことを評価します。それを本人がどう考えてどうしたいのかを中心に、望んでいることの実現に向けて対話を繰り広げます。点数が低いから悪く高いからよいというわけではなく、点数を高くすることが目標ではありません。

堀田聰子先生プロフィール
写真:堀田聰子 先生 写真:堀田聰子 先生

慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科教授

京都大学法学部卒業後、東京大学社会科学研究所特任准教授、オランダ・ユトレヒト大学訪問教授等を経て2017年4月より慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科教授(医学部・ウェルビーイングリサーチセンター兼担、認知症未来共創ハブ代表)。博士(国際公共政策)。人とまちづくり研究所代表理事、日本医療政策機構理事、コード・フォー・ジャパン理事のほか、社会保障審議会・介護給付費分科会及び福祉部会(厚生労働省)等において委員を務め、より人間的で持続可能なケアと地域づくりに向けた支援と加速に取り組む。

編集後記 編集後記

人物イラスト:中尾洋子 パナソニック(株) 全社UD推進担当主幹

中尾洋子 パナソニック(株) 全社UD推進担当主幹

「認知症とは、社会と個人の間に生まれる「状態」であって、今は社会が追いついていないことによって認知症のある方々の苦労が生まれているのです。」というお話は、私がUDで学んだ「障害の社会モデル」と同じでした。様々な人が自分がやりたいことをやり続けられるために、私たちがすべきことがたくさんありそうです。また、ポジティブヘルスの考え方は、これから自分や家族の健康を考える時に活用したいです。